健康そのものだった姉が交通事故でこの世を去った...死ぬということ

桜

桜がほころび始めた3月の終わり、姉がこの世を去りました。59歳でした。
結婚をし、子どもを授かり、孫もできた姉の人生。『まだ若いのに可哀そう...』と、思うかどうかは、その人その人の人生の道のりによって違う気がします。

うちの娘のお姑さんが57歳で亡くなった時、姉は『まだ若いのに可哀そうね...』と言った。少し意地悪な言い方をすれば、病気であれ死であれ誰かを可哀そう...と言う時、自分はそうならないという確信が前提にあるように思う。それくらい姉は健康だったし、母もお姑さんも85歳を過ぎてなお元気にしていて、自分の末永い人生を少しも疑わなかったはずです。

もう、かれこれ20年ほど前、父は朝起きると亡くなっていた。69歳だった。突然の死に、近所の人が『可哀そう... 』と母を励ました。それから程なく、その家のご主人と、ご近所のもう一人の男性が同じような状況で亡くなった。本当に不思議な出来事だった。
人さまに起きていることは決して人ごとではなく、自分の身にいつ起きてもおかしくないということ。という気がしてなりませんでした。

姉のいる病院へ... 5年ぶりの再会

私たちは3人姉妹でした。この姉が長女で私が三女。
私だけが地元を離れ、新幹線で3時間、乗り継ぎを含め片道5時間ほどの街に住んでいた。朝7時過ぎに真ん中の姉から電話があった。一番上の姉が前夜に交通事故に遭い、頭を打って意識不明ということだった。すぐに病院近くに宿をとり、荷物をまとめ姉の病院へと急いだ。この時はまだ姉の回復を信じ、私は強い意気込みでいた。。

午後2時過ぎに到着したものの、ICUの面会時間は1日たったの2回。病院の隣にある公園で、きっと不安であろう姉を想いながら18:30の面会時間を待った。実は私の娘は脳の病気を患っており、ICUは5回ほど経験している。何度味わっても胸が張り裂けそうになる場所です。お昼の面会に間に合った真ん中の姉からは『ショックです』というメール。
気を強くもって姉に面会した。

人工呼吸器に繋がれ、髪を全て剃られ、腫れた顔で身動き一つせずに横たわっている姉の姿は、記憶の中の姉とは一致しなかった。それほどの衝撃が彼女を襲ったのだと実感した。

姉は午後からの勤務を終え、薄暗くなった2車線道路の交差点で横断歩道を渡っていた。その時、後方から来る右折の車に跳ねられてしまった。救急車の中では多少会話もできていたのに... そのまま意識を失った。

深夜に急性硬膜外血腫の血腫除去を行うため頭蓋骨2ヶ所に穴を開け穿頭血腫ドレナージ術、頭蓋内圧亢進に備えてICPセンサー留置術が行われ、低体温療法も開始された。脳圧が上昇しないよう薬で眠らされた状態となった。頭蓋底骨折(軽度)があったものの、呼吸中枢のある脳幹部の損傷や脳ヘルニアの所見はなかった。びまん性軸索損傷については、MRIを撮れる状態にないためCTでは確認できないということだった。

姉の手を握り、耳元で声を掛けた。
『○○姉ちゃん...○○だよ!大丈夫だからね!大丈夫だよ...』と。とにかく安心させてあげたかった。不安をぬぐってあげたかった。

頭部外傷による脳挫傷の怖さ

主治医の話によると、頭を打ったであろう形跡は右後頭部の1ヶ所のみ。では何故、死に至ってしまったのか... 脳はよく、やわらかい豆腐が水に浮いているようなものと表現されます。右後頭部の衝撃が反対側の側頭葉、前頭葉へと伝わり、やわらかい脳が頭蓋骨にぶつかって脳組織が壊れてしまいます。これが脳挫傷です。

娘の病気を通じて何度も見てきたCT画像ですが、姉のものは側頭葉から前頭葉にかけて、まだらに損傷していることが見てとれました。おそらく回復しても元の状態に戻ることは、かなり厳しい状況でした。事故の寸前まで普通に元気に暮らしていたのに...
姉は自分の状況すらわかっていないでしょう。

でも、この時はまだ主治医の言葉『2週間後から薬(鎮静剤等)を減らしていって様子を見ます。自発呼吸はあると思います。』を信じて、わずかな光を見ていた気がします。4日間声をかけ続け、5日目のお昼の面会を終えて、家族がゆっくり寄り添えるよう私は一時帰宅した。減薬の時に合わせて再び来る予定で...

いのちの選択とわかれ道

戻ってから姉の状況を必死に調べた。姉の息子が言っていた『今後、脳圧が上がれば頭蓋骨を両方外すかもしれない... 』これについて姉と同じような状況の症例がないかを調べた。

戻って3日目の夜9時頃(事故8日目)、姉の娘から電話があった。
両側減圧開頭手術をやるかやらないか...やるなら今か明日しかない... と選択をせまられていると。父も弟もすでに諦めている...父はやらない回答をした...と。。今の脳圧の数値を訊くと、100を超える場面もあったと。。耳を疑った。

私の調べるかぎり、ある救命救急センターにおける姉と同じような症例の報告書において、2度目の脳圧上昇(第4病日・ICP30mmHgを超えた)時点で両側減圧開頭術に踏み切っており、術後はICP18mmHgまで低下していた。※ 正常値はICP5~15mmHg
脳圧がこれほどまでに上昇したタイミングで、主治医が本気でこの手術を今やろうとしているとはとても思えなかった。ましてや、こんな時間に大事な選択をさせるものなのか...と。やらない確認にすぎなかったのだろう。

翌朝、主治医からの連絡で血圧が低下し手術に耐えうる体力がないということだった。予定を早めて、再び姉の待つ病院へと向かった。(事故9日目)

心拍数が0になるのをただ見守るだけの最期

姉は事故で頭にダメージがあったものの、身体には何一つダメージがなかった。骨折もなく心臓も肺も腎臓も腸も健康そのものだった。呼吸中枢と言われる脳幹部(延髄)の損傷もなかった。なのに、どうして自発呼吸ではなく人工呼吸器につながれていたのかさえ最初は理解できなかった。

主治医からは翌日(事故10日目)が命の目処と言われていた。だが、姉の心臓は正常に機能し続け、ベッドサイドモニターの心拍数は80前後で安定。主治医は病室を訪れるたびに『若いからですね~』とか『心臓が丈夫なんですね~』と呟くしかなかった。。結局、減圧開頭手術を受けないまま、しばらく脳圧はICP60mmHg前後だったものの、その後徐々に下がり始め正常値の15mmmHgまで自然に下がっていたことを計器で確認した。

その後、頭蓋内圧亢進に備え脳に埋め込まれていたICPセンサーなど頭に出ていた管も全て取り外された。血圧は28/20(事故11日目)で、ずっと低空飛行しているような感じでした。
事故14日目あたりから不整脈や高カリウム血症の波形も見られるようになり、尿も出なくなった。そして、事故16日目の夜、姉は59年の人生に幕をおろしました。

事故から一度も目を覚ますこともなく、一度も口を利くこともなく、一度たりとも反応がありませんでした。
姉は今何を想っているのだろう... 何を伝えたかったのだろう...